2024年4月24日水曜日

高級フレンチを食べにいってきました

  先日、妻と高級フレンチに行ってきました。とても高級な味で美味しかったです。サービスも味も全てが高級でした。

店を出てから妻は「どれも美味しかったけど、どれも同じ味のような感じがする。高級になると、個性ってなくなるのかな?」とぼそっと話しました。確かに、高級で美味しいって感じました。かつ、フレンチなので、バターとかクリームとか、あと色々なうまみが凝縮していて、それがやっぱりクリーミーな味になる。全ての出される料理が、そんな感じでした。

 高級フレンチを食べて、僕は、「やっぱりB級グルメが好きだ~。」ということを再認識しました。当院のクリニックがある、『あびこ』には、たくさんの美味しくて、リーズナブルな飲食店があります。各々に、個性的な美味しさがある。スープカレー、蕎麦、ラーメン、和食、イタリアン、中華、焼肉、焼き鳥などなど・・・。

 今回、都会の洗練された高級フレンチ店に行ったおかげで、僕は、「あびこが好きだ~。」と再認識できたことが、一番の収穫でした。

2024年4月17日水曜日

長期休暇で感じたこと

 長期休暇では、自宅のキッチンを僕も使うようになるのですが、やはり妻のエリアに、僕がお邪魔させてもらっているような感じになるので、どうしても、僕はキッチンを雑に使ってしまい、妻をイライラさせてしまう。それを妻に注意されて、僕は不機嫌になっていく。しかし、その上で、妻に怒られにくい部分、例えば、食洗器に食器を入れる、など・・・。

僕は、どこまでも不十分で雑なんですけど、やらないよりはマシだという見解です。僕自身も、妻に文句言いながら、「やれる部分はやりました。」あくまで妻に文句言いながらです。

 自分の視座としては、長期休みで家にいても、自分の頭の中は、「社会上のことを意識している感じが強いな~」と長期休みとなると余計にそう思います。家のことをすることの意識は、正直薄くなります。今後のクリニックや医師を含めた社会的な役割を、自分がどうしていったらいいのかを考えたりすることが好きですし重要視しています。妻は、反対に、家庭上のやりくりを主に考えている。だから、どうしても、僕が家にいると、その意識の違いがあり、揉めます。

 これは、男女の意識や特性の差で、相互に補完し合う部分なんですけど。どうしても現在は平和社会なので、家庭で父(夫)の役割が微妙になり、父(夫)が怒られるのが時代背景だとは思います。今の時代背景上は、男性陣が、家庭でも社会でも、アップデートしていく必要を感じています。

やっぱり、長期休暇の夜も、こっそりサウナにいきました。翌朝、妻に、こそこそサウナに行ったことがばれて、やはり怒られるんですけど。

2024年4月15日月曜日

講演会のお知らせ

 
5月18日(土)9時30分~、当院主催の講演会をします。詳細は、当院のHPのお知らせにて確認していただき、ご参加をお待ちしております。参加に当たって、当院に通院されているとかは、関係ありません。講演の演題としては、

「発達障害のリアルな理解と支援について Part.3」 

という演題ではありますが、そこから外れた内容でも何でも、長めに質疑応答の時間を持っていますので、参加いただいた方に、多くの実践的な情報提供や情報共有して、少しでも明るくなって、楽になって帰ってもらえるように頑張りたいと思っています。ご参加をお待ちしております。

2024年4月10日水曜日

ヤフーニュースで、大阪の名門・清風高校「カンニングするのは卑怯者」生徒を追い詰めた 「写経80巻」「全科目0点」「反省日誌」「謹慎8日」の厳しすぎる処分という内容での僕が感じたこと

 ヤフーニュースで、清風高校の学生がカンニングをしたため、先生から主題のようなかなり強めの反省を促すアプローチと「カンニングは卑怯者がすることだ」と複数の男性教師から人格否定されるような指導を受けたそうです。結果的に、高校生の男児は、自死されました。そもそも清風高校のような進学校の子が、カンニングをして、全科目0点、謹慎処分、学校推薦などの大学進学もなくなるなどで、かなり重いペナルティーを与えられて、本人としても、かなりショックな状態だったと思います。正直、誰かを傷つけたわけでもないし、十分な制裁を受けて、これ以上責める必要は、僕はないと思います。

 これ以上責めるのは、教育なんだろうか?世の中の常識としても、スピード違反でも万引きでも、捕まったら、結構、警察官も、加害者に寄り添いつつ、ペナルティーを科すようにしていると思いますけど・・・。

 それに、高校生という思春期の心は、非常に不安定です。カンニングで制裁を受けて、弱っている心の状態に対して、さらに複数の男性教師から人格否定する教師の発言や重すぎる課題を課すというのは、その高校生という年代の未熟な心に「心理的視野狭窄」の状態を引き起こして、自殺リスクを高めてしまう可能性が高いのです。その高校生の遺書には「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってしまいました」などと書かれていたそうです。

 僕も、高校時代、定期テストでカンニングして、全科目0点、停学、謹慎処分です。僕は、清風高校の先生のいう「卑怯者」に該当します。なおかつ、医大生の頃もカンニングして、大学教授3人に囲まれて単位を失い、あと一歩で留年しかけました。

つまり、僕は、超卑怯者です。それ以外でも、僕は学生時代を含めて、たくさんの卑怯なことをしてきました。カンニングを正当化するつもりはないですけど、僕自身が高校時代にカンニングした理由は、高3で突然医者になりたいと言い出して、

担任から「成績が悪すぎる」「内申点も悪すぎる」と言われて、慌てて成績あげるために、隣の友人と見せ合いっこして・・・即刻ばれました。でも、自分の人生を考えると、当時は、アホなりに、何とかしたいとあがいた結果です。やり方は間違っているけど、若い頃、色々トライ&エラーして、失敗しながら学ぶことって大事だと思います。

 学校の生徒を指導する立場にある先生は、全員

『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著作、新潮新書 を読んでおいてほしい。

 生徒に反省させることを最初に求めると、被害者側、カンニングであれば、社会的な立場でのアプローチ。それを優先した関りをしても、真に反省するといった効果は期待しにくいです。

 生徒がこうした失敗を通して必要なことは、反省ではなく内省です。内省するためには、加害者側、カンニングの場合は、カンニングした学生の気持ちを、批判せずに寄り添ってあげることこそが、重要なアプロ―チになります。
やったらあかんことをして、自分も傷ついたし、家族や周りの人にも迷惑をかけた。でも、自分なりに何とかしようとした気持ちは大事にして、今後も、何とかいい成績をとれるように頑張っていきたいと思えるように支えることが教育者としてふさわしい行動指針だと思います。間違ったことを若者はする。それを糾弾して、表面的な反省を促すのは、教育者として失格だと僕は思います。

 弱っている生徒に、追い打ちをかける先生は、卑怯者じゃないのか?教師として、適切な対応とは何か?そのことに、清風高校の先生方は、誠実に内省してみて欲しいと思います。

自分でできないことを反省するより、本来自分が持っていることに気づくことが大事!

  僕は、ブリーフセラピーという家族療法のアプローチを重視している精神科医ですので、そのブリーフセラピーの創始者であるミルトン・エリクソンが、精神療法について語った言葉で、

「精神療法は患者さんに足らないことを与えることではない。また患者さんが歪んだものを持っていて、その歪んだものを矯正することでもない。患者さんがすでに持っているにもかかわらず持っていることに気づかないものを、どうやって患者さん自身が使えるようにしていくのか、それを援助するのが精神療法である。」という言葉。

 僕自身、毎日、日々診療、学習、修練していますけど、なかなかできてないと思う日々です。と書こうと思ったんですけど、「いや、違う!そうやって反省するのではなく、こうやってできたことが、今日もあったやん。こうした日々、僕自身もできていることに気づけることが大事なんや~」と思いました。

 日々のできなかったことを反省することよりも、これまでの小さくても、自分ができたことに気づけることが、大事やねんな~とミルトン・エリクソンが語り掛けてくるような気がしました~。

2024年4月3日水曜日

1人でハイキングに行ってきました。

  先日、少し自由時間をいただけたので、急遽、1人で信貴山にハイキングに行ってきました。運動不足の僕にとって、登山の時に、傾斜が急になると、すぐに眉間に皺が寄り、「ぜ~は~ぜ~は~」と過呼吸の状態になります。確かに、しんどいから、そうなるんですけど。精神科医的な観点でいうと、しんどい状態になって、そこから坂道を見て、脳という臓器が、その先々の不安を認知して、余計に過呼吸になっていることに気づきました。

 アニメ「きめつの刃」で、呼吸の大事さを説いていたのはこういうことか~、と気づきました。

 まず、先を見過ぎないで、一歩一歩を大事にする、眉間の皺は伸ばして、大谷翔平をイメージして、表情筋の緊張を緩和させて、深呼吸をしながら登りました。「アニメ「きめつの刃」の呼吸の基本型は、深呼吸のことやったんやな~」とつぶやきつつ、登頂しました。

 人生には、しんどいことが結構ありますけど、それ以上に、人は、考えすぎて、よりしんどく感じている。しんどいときこそ、先々を過剰に心配するよりも、目の前のことを大事にして取り組んで、表情は緩ませておいて、深呼吸して取り組むことの大事さに気づけた登山でした。帰りは、お寺にお参りして、美味しいお蕎麦と温泉につかって、より自然な深呼吸ができて、ケーブルで楽ちんに下山しました~。ありがたいことです。




2024年3月27日水曜日

夫婦関係で大切なこと

  僕は、児童精神科、精神科の専門医で、家族療法を大事にしているからこそ感じていることがあります。

 夫婦関係で、大事なことは、どっちが、正しくて、どっちが間違っているなどにこだわるとおかしくなります。そもそも夫婦は他人同士なんだから価値観が違う。お互い様だということを大事にすることがいいと思います。

 時代背景的に、特に男性陣は、頑張らないといけないステージにあると思います。そうした時代背景を、ちゃんと受け取って、我々男性陣は頑張っていきましょう。

 僕は、妻に「何でわからへんねん~」と思ったら、心の中で、震える機能が、40歳を過ぎたあたりから、搭載されるようになってきました。妻に、「何でわからへんねん~」と言ってしまいそうになったら、家を飛び出して、サウナに直行して、水風呂で頭を冷やして「分かり合えるわけないよな~」と、脳内を整理して、整えていきます。その後は、1週間くらい、夫婦の会話は途絶えます。でも、夫婦喧嘩は、台風と同じようなものなんで、過ぎ去ると、お互いの緊張感は少しずつ減弱し、徐々に喋るようになり、振り返ると何で喧嘩したのかを思い出せないことが多いです。

 夫婦関係は、各々の夫婦によって違うから、夫婦で一緒に作っていく共同作業です。先に、理想があり、そこを目指すとおかしくなります。理想にあてはめようとすると、「何で、あなたは、こうしてくれないの?」と勝手に被害的になったり、相手に求めてばかりになって、お互いの仲が悪くなるだけです。夫婦関係は、何年か経過したら、「くされ縁」という感じが、僕的にはしっくりきます。くされ縁という情がお互いに通って、何か一緒にいるとおいが安心する。いないと、何か落ち着かないし寂しい。それだけで十分だと思います。